吉丘誠、正二、香は、東京北部の三つの区が重なり合った地域に住む三人きょうだい。
一年前、父・信道は多額の借金を抱えて突然姿を消してしまった。
その直後、母・愛子はアパートの窓から発作的に飛び出し大怪我を負い、
意識不明で寝たきりになってしまう。以来、きょうだいの日々は一変した。
ロックが好きだった長男の誠は音が聞こえなくなった。
父の借金を返しながら家族を養うため高校を中退し、早朝は野菜市場、
昼から晩は中華料理屋、深夜は覚醒剤のアジツケの内職をしている。
暴力団組織の斉木には引っ越しを手伝わされ、高平には密入国者を海から
引き揚げる作業に駆り出され、さらに内職のノルマを増やされ疲れ果てる誠。
絵を描くのが得意で甘えん坊だった小学校六年生の次男・正二。事件後、
風景から一切の色が消えてしまった。寝たきりの母のおむつや体位を変えるのは
正二の役目だ。だが自分の洗濯や入浴はままならず、通っている小学校でも
「くさい」といわれクラス全員から無視されている。
見えないものが見える長女の香は、朝八時、兄の正二に連れられて
幼稚園に通園するが、女子学生専用アパート前の電信柱で必ず足を止める。
理由は、正二にも分からない。ものの臭いを感じられなくなってしまった香だが、
押し入れの前で「くさい」と呟く。
背負いきれないほどの現実がのしかかった仔らは、怒りや悲しみを押し殺し、
生き延びるため心を閉ざしてきた……。